ゴールデンウィークということもあり、たまには筋トレに関係ない記事も書いてみます。
この記事で伝えたいのは、「普通に生まれるのは奇跡」ってこと。普通に五体満足で生まれて、普通に自分がやりたいことに挑戦ができる。それは奇跡です。
「何を当たり前のことを言っているんだ」と思われるかもしれません。しかし、つい最近それを痛感したため、みなさんにもお伝えできたらなぁと思って書いています。
感情的に書きなぐっているので、冗長で、支離滅裂な部分が多数あるかもしれません。ご了承ください。GWの暇つぶしにでもどうぞ。
娘が手術を受けた
ゴールデンウィーク前に、もうすぐ3歳になる娘が手術を受けました。全身麻酔での手術です。1歳のときにも同じ箇所の手術を受けていて、本来は1回で終わるはずでした。しかし、予後が微妙ということで、2回目の手術が必要になったのです。
正直、2回目の手術が必要とわかったときは、かなりへこみました。「なぜ、うちの子がこんな目に合わなければならないんだ」と、何度も思いました。運命を呪いたくなるってこんな感じなのかと。
私は基本的にネガティブな性格で、落ち込んだらとことん落ち込むタイプです。この時期はほとんど仕事が手につかず、「クロノトリガー」しかやっていません。
だって、まだ2歳の子どもがですよ、全身麻酔の手術を受けなければならないんです。しかも2回も、女の子の体にメスを入れなければならない。
「できるなら変わってあげたい」。
何度願ったことか。
僕なんて、健康すぎて手術なんて一度もしたことがないし、入院の経験すらありません。
唯一、「俺はもう死ぬんだな」と思ったのは、マレーシア旅行中に海で溺れたときくらい(超カナヅチなので)。
いやぁ、あれは本当に怖かった・・・って、言いたいことはそうじゃなくて。
娘の付き添いで入院した病棟での現状を見て、「自分はなんて弱い人間なんだろう」とぶちのめされました。
重い病気を持つこどもたち
入院先は、大阪にある大きめの病院で、5歳以下の子どもたちがほとんどを占める病棟に入りました。ひとつの部屋に4人の子どもがいて、親がそれぞれ付き添っています。
同じ病室で出会った子どもたちを見て、胸をえぐられる思いに駆られました。
心臓に病気を持つ男の子
1人目は、2歳後半の男の子。男の子にしては体がすこし小さめでした。心臓に病気があり、長い期間ICU(集中治療室)に入っていたのですが、ようやく一般病棟に移ってこれたところでした。
その子のお母さんはとても明るく、ザ・大阪のお姉さんといった感じの人。子どもに四六時中話しかけていて、正直、「過保護すぎないか?」と思っていました。
いろいろ話を聞くと、心臓の手術中に数十分ほど心停止をしてしまったそう。
医師からは「もうダメだ」と言われたけど、なんと奇跡的に心臓がふたたび動き出し、その後は体調がみるみる回復していったそうです。ただ、まだまだ完治するかはわからないと。
その親御さんは、1分1秒も無駄にしないために子どもに話しかけていたのだと知り、「過保護だな」と思った自分を殴りたくなりました。
「もうすべての手を尽くした」と言われた女の子
2人目は、小学校高学年くらいの女の子。見た瞬間にびっくりするほどやせ細っていました。その子も同じくICUに入っていたのですが、一般病棟に移ってきた組でした。聞くと、もう2ヶ月ほど入院していると。
彼女もまた、心臓に重い病気を抱えており、手術を繰り返していました。
親御さんによると、医師からは「もうできる限りのことはすべて尽くした」と言われてしまったそうです。つまり、天命を待つしかないと。
言葉になりませんでした。
いや、医者はもうちょっと言葉を選ぶべきだろ。
テレビドラマでしか見ないような光景が、自分の目の前で起こっていました。
付き添いがいないダウン症の男の子
3人目は、2歳くらいの、ダウン症の男の子。彼もまた、心臓に病気がありました。上記で話した子たちの病気についてはいろいろと知ることができましたが、その子だけは最後までどんな病気なのか、詳しくはわかりませんでした。
なぜなら、その子はずっとひとりぼっちだったからです。
親が仕事で忙しいのか、お見舞いに来る人はほとんどいませんでした。唯一、親が来たのは遅い夜の時間で、それも1時間もしないうちに帰ってしまいました。基本的に看護師がご飯をあげ、プレイルームで遊ばせていました。
こんなふうに書くと親がひどいように聞こえますが、それぞれ家庭の事情があるので、実際のところは何もわかりません。
しかし、病気の子どもがずっと一人で入院する光景は、見ていてかなりつらいものがありました。
その子には付き添いがいないため、子ども向けのDVDを1日中見ていて、DVDが止まったら「ギリッギリッ」と歯ぎしりを始めるんです。その度に私がDVDを再生しにベッドへ行っていたのですが、その子が遊んで欲しそうに手を出してくるんですね。
でも、その子の病気について何も知らないので、うかつに何かをすることもできず、笑い返してあげるくらいしかできませんでした。これは本当につらかった。人生はなんて不公平なんだと。勝手に悲しむなよって話しですけどね。
病院で出会った子どもたちの多くは、”命に別状がある”子たちでした。
適切な言い方ではないかもしれませんが、来月、来年と、生きている保証はありません。いつ何が起きてもおかしくない。
命に別状はない手術でへこんでいる自分が、情けなく感じました。「自分、親として器ちっちゃいなぁ」と。この子たちも、親御さんたちも、こんなに明るく前向きに生きているのに。
「当たり前」に生まれることは奇跡
とりあえずは、手術は無事に終わり、退院して我が家に帰ってこれました。
ダラダラと書いてきましたが、今回の手術で感じたことは、「当たり前に生まれることは奇跡」ということです。書き出してみるとシンプルですが、自分の価値観を大きく揺さぶる体験でした。
五体満足で生まれるだけで奇跡。
健康でいれたら奇跡。
普通の人ができるような挑戦も、したくてもできない人たちがいる。
自分はどうだろうか?
何かと言い訳をして、挑戦から逃げていないだろうか?
退院するときに笑いかけてくれた子どもたちの笑顔が、今も頭から離れません。